2023-09-20(Wed)
去る9月6日 父が逝去いたしました
自宅から送り出したい という兄の意見に全面的に賛成し
自宅葬となりました
家に帰りたがっていた父でしたから こうして本当に良かったと思っています
お別れの言葉を私が贈りました
思い出す限り ここに残しておきます
「おとうさん
私はこんな日が来ることを本当には信じていなかった
もし おとうさんが旅立つ時が来ても
冗談めかして
いやいや 長いお勤めご苦労様でしたねぇ なんて
笑って送れると思い込んでいた
そんなの無理だった
思っていたのは噓だった
ああもすればよかった こうもすればよかった
もっとおとうさんのサポートがうまくできるはずだった
そんな風に後悔ばかりしてしまいます
だから もう少し もうちょっとだけ
こんな後悔をしなくて済む時間が欲しい
今 切実にそう思います
おとうさんは無口だった
とても口数の少ない人だったね
激昂することもなく 声を荒げることもなかった
もし声を大きくすることがあったとしたら
それは たいてい喧嘩の仲裁の時だった
おとうさんは言っていたよね
喧嘩にもルールはある
決して相手がぐうの音も出ないほど追い詰めてはいけない
必ず逃げ道を一つは用意してやるものだ と
おとうさんは そういう人だった
人に任せることを潔しとせず
何でも自分でやっていた
90歳になっても会社の経理をすべてやっていて
税理士さんに驚かれたりもしたね
だから 小さいころ私は
人は大人になれば おとうさんのように 何でもできるようになるのだと思っていた
でもそうじゃなかった
おとうさんは できないことをできるように 努力していただけだった
5人の子どもを一人前にするのに懸命で
周りのことをいつも優先して
自分のことは後回し
自分の欲なんて これっぽっちも 爪の先ほども表したりしなかった
天皇のお言葉ではないけれど
堪え難きを堪え 忍び難きを忍び・・・
おとうさんの人生は 努力と忍耐でできている
私はそう思っていた
でも
おとうさんが大事にしまってあったたくさんの古い写真には
若くて 元気で 家族と 仲間と
笑いあって 喜びを分かち合っているおとうさんがいました
確かに辛くて悲しい時も苦しい時もあっただろうけれど
でも
同じくらい嬉しい時も楽しい時も
おとうさんの人生にはあったのだと
気づかされました
ですから 今日ここに集まってくださった皆さんにお願いがあります
年老いて 病を得て弱くなった父ではなく
若く ハンサムで 穏やかに笑っていた父の姿を
思い出のよすがとしていただきたい
父もそう願っていると思います
おとうさん
私は 私たちは
おとうさんに守られてきました
どうも ありがとう
おとうさん
また 会いましょう 」
自宅から送り出したい という兄の意見に全面的に賛成し
自宅葬となりました
家に帰りたがっていた父でしたから こうして本当に良かったと思っています
お別れの言葉を私が贈りました
思い出す限り ここに残しておきます
「おとうさん
私はこんな日が来ることを本当には信じていなかった
もし おとうさんが旅立つ時が来ても
冗談めかして
いやいや 長いお勤めご苦労様でしたねぇ なんて
笑って送れると思い込んでいた
そんなの無理だった
思っていたのは噓だった
ああもすればよかった こうもすればよかった
もっとおとうさんのサポートがうまくできるはずだった
そんな風に後悔ばかりしてしまいます
だから もう少し もうちょっとだけ
こんな後悔をしなくて済む時間が欲しい
今 切実にそう思います
おとうさんは無口だった
とても口数の少ない人だったね
激昂することもなく 声を荒げることもなかった
もし声を大きくすることがあったとしたら
それは たいてい喧嘩の仲裁の時だった
おとうさんは言っていたよね
喧嘩にもルールはある
決して相手がぐうの音も出ないほど追い詰めてはいけない
必ず逃げ道を一つは用意してやるものだ と
おとうさんは そういう人だった
人に任せることを潔しとせず
何でも自分でやっていた
90歳になっても会社の経理をすべてやっていて
税理士さんに驚かれたりもしたね
だから 小さいころ私は
人は大人になれば おとうさんのように 何でもできるようになるのだと思っていた
でもそうじゃなかった
おとうさんは できないことをできるように 努力していただけだった
5人の子どもを一人前にするのに懸命で
周りのことをいつも優先して
自分のことは後回し
自分の欲なんて これっぽっちも 爪の先ほども表したりしなかった
天皇のお言葉ではないけれど
堪え難きを堪え 忍び難きを忍び・・・
おとうさんの人生は 努力と忍耐でできている
私はそう思っていた
でも
おとうさんが大事にしまってあったたくさんの古い写真には
若くて 元気で 家族と 仲間と
笑いあって 喜びを分かち合っているおとうさんがいました
確かに辛くて悲しい時も苦しい時もあっただろうけれど
でも
同じくらい嬉しい時も楽しい時も
おとうさんの人生にはあったのだと
気づかされました
ですから 今日ここに集まってくださった皆さんにお願いがあります
年老いて 病を得て弱くなった父ではなく
若く ハンサムで 穏やかに笑っていた父の姿を
思い出のよすがとしていただきたい
父もそう願っていると思います
おとうさん
私は 私たちは
おとうさんに守られてきました
どうも ありがとう
おとうさん
また 会いましょう 」
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