夜廻り猫
2019-10-26(Sat)
『夜廻り猫』という漫画
さっき知ったのだけれど・・・
お母さんが死んでしまった女の子
学校に行けば みんな「大丈夫?」と言ってくれる
でも 本当には彼女の気持ちをわかってくれるわけではない
「叫び出しそう」という彼女
タロウが逝ってしまう前
タロウの友達が何頭か先に逝ってしまっていた
飼い主さんに
「○○ちゃんは幸せでしたよ」くらいしかかける言葉がなかったけれど
タロウを失って初めて
私は飼い主さんの心に寄り添っていなかったと思い知らされた
所詮 他人事だった
一時涙を流しても
それは 本当に一時
なんと心無い自分であったかと 今 思う
けれど 同時に
自分は自分でしかあることはできない のだとも思う
村上春樹は『遠い太鼓』で
「ぼくたちはどこへでも行けるし どこにも行けない」と書いたが
その通りだと思う
♪ワタシ以外ワタシじゃないの♪
歌の文句じゃないけれど
私というフィルターを通して物事を見る
逆から見れば
私というフィルターでしか見られない
隣にいる大事な人であっても
私ではない
だから 思う
共感するということの大事さを
完全にはできないからこそ なお
今だからこそ なお
さっき知ったのだけれど・・・
お母さんが死んでしまった女の子
学校に行けば みんな「大丈夫?」と言ってくれる
でも 本当には彼女の気持ちをわかってくれるわけではない
「叫び出しそう」という彼女
タロウが逝ってしまう前
タロウの友達が何頭か先に逝ってしまっていた
飼い主さんに
「○○ちゃんは幸せでしたよ」くらいしかかける言葉がなかったけれど
タロウを失って初めて
私は飼い主さんの心に寄り添っていなかったと思い知らされた
所詮 他人事だった
一時涙を流しても
それは 本当に一時
なんと心無い自分であったかと 今 思う
けれど 同時に
自分は自分でしかあることはできない のだとも思う
村上春樹は『遠い太鼓』で
「ぼくたちはどこへでも行けるし どこにも行けない」と書いたが
その通りだと思う
♪ワタシ以外ワタシじゃないの♪
歌の文句じゃないけれど
私というフィルターを通して物事を見る
逆から見れば
私というフィルターでしか見られない
隣にいる大事な人であっても
私ではない
だから 思う
共感するということの大事さを
完全にはできないからこそ なお
今だからこそ なお
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